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デンマークの首都コペンハーゲンの軽度障害児学校

 最終更新日  

コペンハーゲンのウエストサイドの住宅街にあるエングスコーレン障害児学校を視察した。夏休み前の最後の週という慌しい時期でしたが、快く受け入れてくれた。

2012年1月に、発達保障研究センターの方々とこの学校の庭にある障害児学童保育を視察した。学童保育だから夕方、それも生徒たちが帰る頃。リフト付のタクシーが何台も門の前に並び、生徒たちを乗せては出ていった。空が低く、寒くて暗い夕暮れ時だった。

学童保育所は校門のすぐ左手にある赤レンガ建ての平屋。アスファルトで舗装された校庭を挟んだ向こうに、4階建ての学校があった。同じく赤レンガ建てだったが、窓周りやドアの上はアールヌーボーの半円のような装飾がついていた。いまどき赤レンガの建物は建てない。かなり古いということは予想できた。

誰もいない校庭には白ペンキでバスケットボールのコートが描かれ、両端にバスケットゴールが立っていた。金網のネットがコートを囲んでいた。薄闇の中から口笛が流れてきそうな、子どもたちがそろって指を鳴らす音が聞こえてきそうな。ウエストサイド・ストーリーのような世界。

2013年6月の朝、再び訪れたエングスコーレンは、打って変わって、雲ひとつない青空の下で、赤レンガが輝いていた。2階のホールに入り、学校運営に携わる校長、副校長、教材担当の先生から説明を受けた。3人とも女性。この学校は軽い学習障害児、IQ40から80の子どもたちが通っている。特別支援学校に通う子どもたちよりはIQが高い。80前後の子どもたちはふつう学校でも学べるが、社会性が足りないなどの理由でここにきている。うまく発達して、ふつう学校に移る子もいる。反対に、問題が大きくなり、支援学校に移る子どももいる。

この学校が対象とする子どもたちは、コペンハーゲンには450人くらいいる。専門学校は2校で、一部の学校に専門クラスがある。 早産で障害が出た子どもが多い。親から虐待を受けて、精神病になっている子どももいる。虐待は遺伝する可能性が高いので、学校はそれを断ち切ろうと努力している。集中力に欠けている子、抽象的に考えられない子が多く、できるだけ具体的に授業している。生徒の6割は移民の子で、親の職業も幅が広い。共通するのは、自分の子どもを愛していて、最良の方法をとりたいと望んでいること。

集中できない生徒は衝立の中で学ぶ

全生徒数は115人。1クラスが15人から20人で、先生2人。国語と算数と英語は先生3人にして、クラスをレベルごとに3つに分ける。0年から1年、2年と3年の混合クラス。北欧の保育所のほとんどで採用しているが、私は学校ではあまり例を知らない。異年齢教育のイエナプランはドイツで発祥し、いまはオランダの学校で実践されており、ドイツでも再導入がはじまっている。

10年生になると「青年から大人へ」プロジェクトが始動し、別の先生になり、喧嘩の解決法とか、商店での買物の仕方などを教える。義務教育の最後の学年は、社会に出てからの生き方を教えるということ。理にかなっていますね。

建物が古いからといって、学校の中身が古いわけではない。教材とか図書とか、なんでも担当教員のシャロット先生が、ITの活用について説明してくれた。ふつうの学校に通っている意識を持ってもらいたいので、ふつうの子どもを教えるのと同じ機器を利用している。先生、両親、生徒がともにインターネットでつながり、iPhoneのような機器で学校のホームページが閲覧できる。宿題や授業の時間割は、生徒や両親にメールで送られる。記憶に問題がある生徒が多いので、写真や資料も送られ、役にたっている。障害があっても現代の生き方へと導かれる。いや、障害があるからこそ、最新の機器を積極的に導入していく。さすがに若めの先生だけに、やる気が感じられた。

学校は100年ほど前にソフィという人が、ヘルプ・スクールとして創立した。当時もこの地域は貧民街で、ここに住む子どもたちに学びの場を与えるためだった。志を持つ人の意思で始まり、やがて市営になった。徐々に、困難を持つ子どもたちの学校に変わっていった。1982年にこの建物に移転した。

筆者は45年前にこのあたりに来たことがある。ポルノ・ショップと売春婦と麻薬の売人と麻薬中毒者とアル中患者が横行する、気味の悪い地域だった。それより60年も前はもっと貧しかったことだろう。20年ほど前からこの地域の再開発が進められた。麻薬売買が行われていた公園が取り壊されて、見渡しのいい大通りになった。道路沿いには警察署が移転し、目を光らせている。ポルノ・ショップは大幅に軒数を減らし、いまは観光客相手の店が数軒あるだけ。アル中の姿は、見かけないわけではない。

豊かになったデンマーク人たちの半分はこの地域から逃げ出し、かわりに移民たちが入ってきた。ここ数年、国全体の失業率は7%を超えている。たぶん貧しさは変わらないだろう。今回の視察の通訳の田口繁夫さんは、長い間、コペンハーゲン市にひとつある通所治療施設でセラピストをしていた。情緒障害児は、機能障害の例もあるが、アル中などの親から虐待を受けて精神に問題を起こさせられる子どもが多い。この通所治療施設はヘルシンオアの美しい田園地帯にあるが、事務所兼集合場所はエングスコーレンから2本東に寄った通りにある。同じ地域だ。そういう子どもたちが多い地域である。通所治療施設を終了して、この学校に入ってきた子どもたちもいることだろう。

ホワイトボードの動きに合わせてリラックス体操

 

見学の時間になった。最初の教室に入ると、生徒は4人、机が4つに椅子が5つ。これだけ。小さい。これが学校?  この人数の授業なら、日本の塾の個別指導に近い。うまく発達して、普通学校に移る生徒もいる、との説明だったが、うなずけた。 正面のスクリーンには、日本の国旗、富士山、火山、世界地図、温泉などの写真がコラージュ風に映されている。写真を探してきて上手に組合わせている。私たちの訪問を意識しての授業だ。迷惑なはずの訪問を、うまく授業に利用してくれている。先生が生徒を紹介してくれる。というより生徒の起源の紹介。ソマリアの男の子、おじいさんが日本の男の子、パキスタンの男の子、パキスタンの女の子。デンマーク起源の子どもはこのクラスにはいない。すべて、移民の子たち。先生だけがデンマーク起源。

「日本には地震がありますか?」初老の男の先生からの質問には「イエス」。「ソマリアにはある?」回答はよくわからなかった。「パキスタンには?」あると、女の子が首で答えた。「デンマークには?」ないと誰かが言葉で答えた。この授業は地理だろうと推測。うなずけないのは、デンマークの障害児学校でさえ、日本の地震について教えているのに、当の日本では「地震のことは忘れよう。経済発展のためには原発は不可欠」という政界財界官僚の姿勢。地震のないデンマークであっても、原発は事故があれば環境汚染を起こすとして、国民投票で建設しないと決めた。もしかしたら、この先生は、私たちにこのことを伝えたかったのか。「地震国の君たちは原発を作り、世界の大気と海を汚した。お金と引き換えに、住めない地域を作った。狭い国土をさらに狭くした。それを忘れていいのかい?」と。

シャロット先生から、この学校には給食があるけど食堂も見たい? と誘われた。デンマークでは給食がない学校がふつう。この日、私は初めて給食がある学校を知った。「この地域はとても貧しい。給食がないとランチを食べられない子どももいる。給食費は1食12クローナ」。半年前の換算で180円、アベノミクス後の換算で230円。230円は日本の給食費とほぼ同額。25%と5%の消費税の違いを考えると、日本よりかなり安い。地域の状況を考えて、子どもや親たちにとって最善の方法をとろうとする姿勢がわかる。これまでに他の学校で、親が反対するから給食はない、と何度も耳にした。「この国もスウェーデンみたいに無料給食になってほしい」とシャロット先生は訴える。たぶん、親たちの反対とのせめぎあいの中で、学校は給食を断固として続けているに違いない。日本みたいに給食代を払わない親たちもいるのだろう。

調理場では、男性のシェフのもとに2人の男子生徒が働いていた。生徒は1週間交代で、調理場仕事を手伝う。北欧の学校では、障害児であっても家庭科は必ず勉強させる。家庭科は生きる技術を学ぶ学科で、料理、掃除、洗濯、裁縫、電器器具の使い方などを教える。学校の調理場は家庭のように小さくはない。しかし、200人分の食事調理の手伝いはいい経験だろう。自信にもなるだろう。家庭にはないさまざまな調理器具に触れられて楽しいはずだ。それに、職業体験にもなる。この学校では、卒業前に生徒の卒後の方向を決める。障害児の就業には、ホテルやレストラン産業に道がある。給食を単なるランチにしないで、よく考えて教育に利用している。

歴史ある校舎だが、温暖化で冷房がほしくなる.jpg

そういえば、説明のときに、10年生は低学年の生徒と一緒に給食を食べると聞いた。年下の生徒に、食べ方や食べるマナーなどを教えさせて、親の役割をさせる。すぐに席をたってしまうといった生徒が多いから、親がどんなに苦労しているか、身をもっての体験させる。それをさらに、未成年の妊娠率が高い地域で、若くして妊娠しないように考えてもらう材料にするという。給食をさまざまな形で教育に深く生かそうという心意気がすごい。こんな給食の生かし方を知れば、親は給食代を払わないなんて言えないだろう。

事前に校長先生から、給食を食べてもいい、と言われていました。しかし、飛行機のチェックイン時間に間に合わないということで、お断りした。10年生と低学年生徒とのランチを見たかったが、残念。実際、コペンハーゲン空港でチェックイン後に、何人かの方々は走ったし、空港内に「ヘルシンキへご出発の何々様はA14番ゲートへお急ぎ下さい」と連呼され、飛行機の出発を遅らせたのだから、ギリギリまでの視察だった。

英語の授業も見た。といっても、すっと入った教室で、「いまは英語の最後のテスト中です」と言われ、あわてて退去した。ここでも生徒は3人だけ。デンマーク語のクラスにも入った。東側に面した窓にはカーテンが引かれていたが、室温はかなりのものだった。女性の先生は、「こんなに暑かったら授業にならない。あと5分でおしまいにして、校庭で遊ぶことにします」と、真っ赤な顔で言った。この学校には冷房がない。デンマークの学校には冷房がない。デンマークの家には冷房がない。亜寒帯のデンマークには冷房は必要なかった。経済優先の国々は、デンマークの気候や環境を変えてしまったのです。デンマーク人は環境を守ろうとしている。でも、他国の政策で、環境が変えられている。

見学のお礼を言い、校庭でみなさんを待っているとき、若い男が校門から駆け込んできた。デンマークの子どもたちは、15歳前後になると大人と同じ大きさ、顔つきに成長する。しきりに門の外を気にし、おびえている。何かトラブルがあったのだろう。貧しい地域で若者たちのいじめ、喧嘩、犯罪、暴行などが絶えないのは、どこの国も同じ。それっきり、校門から入ってくる人はいなかった。校門を出ると、4人の男たちが、塀の影に隠れていた。しかし、これから何が起きるのか、確認することなく、バスへ急いだ。こういう地域の学校で、問題を抱えた子どもたちを教えていくのは、並大抵の努力ではできないことだろう。心の中で「先生がんばって」とエールを送りながら、空港へ向かった。

終業時にはリフト付きバスが迎えにきていた.jpg

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