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デンマーク唯一の知的障害者大型居住地域

 最終更新日  

 デンマークの障害者支援の成功例

筆者が初めてスーロン(シューロンに近い音だが、しょせん日本人には出せない音)と出会ったのは、2000年夏のエコミュージアム(日本語訳は田園空間博物館。農村漁村で保存する価値があるものを1か所に集める収集型ではなく、もとからある場所にあるがままに残す博物館)調査旅行のときでした。この町は第二次世界大戦の際にドイツ軍が空軍基地を設置したところで、森の中に残るトーチカ(コンクリート製の防御陣地)の跡を見に行きました。スカネボーの町から西へ2kmほどの森の中です。  帰り道、緑の中で突然4階建ての大きな建物群が姿を現し、びっくりしました。のどかな自然の風景にはそぐわない建物だったからです。建物から出てきた人が「ガー」と叫び、「えっ、ここは何?」とさらに疑問が湧きました。とまどうように歩を進めると、広い庭の向こうに数人の障害者と介護者が歩く姿が見えました。もう一度、建物群を見上げて、ようやくここが彼らの施設であることに気づきました。デンマークにこんなに大きな知的障害者の施設があるなんて、これまで見たことも聞いたこともなかったのです。そのときは、いまのグループ住宅はなく、5棟の建物の北側には里山が広がっていました。小川には野鳥が遊び、その脇にいまもある山羊を飼う一郭がありました。囲いの中で、障害者たちが山羊の世話をしていました。目ざとく筆者たちを見つけた彼らは、「中国人?」と呼びかけてきました。デンマーク語での説明は無理。笑って手を振りました。このあたりは鹿の苑と呼ばれ、野生の鹿の保護区になっていると紹介されました。鹿の姿は見えなかったけど、夜になると姿を見せたのでしょう。

惜しくも病で退任したアイエンダール元施設長

2001年、障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会(障全協)が、デンマークとスウェーデンで施設解体と地域受入の調査をすることになりました。スーロンについて調べ、皆さんに説明すると、調査対象の一つにしようということになりました。  説明してくれたのは当時の施設長のモウリッツ・アイエンダール氏。まず、スーロンについての説明から話が始まりました。  ここは「田舎町スーロン」という名前がつけられている。デンマークに5つあった大規模知的障害者施設の中で唯一残る施設。230人の知的障害者が住み、その8割は言葉がない重い人たちだ。スタッフは600人。いまは居住者たちをこの施設から生まれた地域に戻しているところだ。

ギリシャ時代には障害者を医療的に見ていた。診断し、目的を立て、効果を見る。診断は障害からしか見ていなかった。静かにさせるとか、清潔にすることしか考えなかった。1930年代以降は、障害者はどこか欠けたところがあるので守ってやろう、と大型施設に集めた。死ぬまで安心して暮らせるように、田舎町にコロニー作りが進められた。ユーラン半島では、オーフスから北へ約60kmのフィヨルド沿いの村マーリエジのシュディスバッケ、スカネボー・コムーンのスーロン、スカネボー駅の2駅南のヴァイレの近くのブライニンゲ、スカネボーの南西約60kmの古都リーベの4つの村に作られた。シェラン島では、コペンハーゲンの北20kmにあったビルケロズ。当時はみな国立の施設だった。

スーロンは1935年に知的障害者550人の収容施設として建造された。100人のスタッフがおり、住民は敷地で畠を作り、野菜や穀物を栽培し、それを食べる・売るの自給自足の生活が求められた。住民たちは、6人部屋に押し込まれ、一人当たり12m2程度あればいいほうだった。

1950年代にバンク・ミケルセンが唱えたノーマリゼーション運動が進み、障害者の生活の見直しが行われた。障害に対するケアだけでは不十分と考えはじめ、ふつうの人に近い生活をする権利があるとの主張が生まれた。1960年代に入ると福祉関係の法律改正が進み、70年には自治体改革があり、24の県が14に、1,300のコムーンが273にまとめられた。これにより、障害者福祉が国から県へ移行する条件整備が開始された。さらに生活支援法が74年に制定、76年から施行され、障害者の施設から地域への移行が始まった。スーロンでは76年に新しい建物を造り、4人部屋にした。大型施設コロニーの管轄は、80年に国から県へ移譲された。これにともないスーロンでは、2部屋をつぶして1室の住居に改築し、各部屋にトイレ・シャワーを配置し、外側に共同スペースを作った。

障害者の地域移行の中で、問題が生まれた。地域に移行できたのは、軽度の障害者だけで、地域に移ってからはアパートで孤立した。施設に残った重度障害者はこれまで軽度障害者から受けていた刺激がなくなり、少なくなった介護員から受ける刺激だけになった。

アイエンダール氏が施設長に就任したのは1990年で、施設解体の流れの中ですでにここの解体が決定していた。しかしノーマリゼーションが進み、行き過ぎも生まれた。障害がありながら健常者と同じ生活をするのは不可能だ。ここが町から近いのに自然が豊富で気持ちよく暮らせる、この施設のほうが安心できる、と考えている家族が多く、施設のスタッフたちは、利用者の大半がむずかしい人で、他へ移しても慣れるまで時間がかかることを危惧している。ここは小さくはなるが、必ず残る。  そして彼は、76年建造の自閉症の住居を見せてくれました。軽度障害の住人たちが生まれた地域に戻ったので、個室に重い人たちが住んでいました。言葉がなく、机の上に置かれた砂場で、じっと砂と向き合っている中年の方の姿を今も覚えています。このときアイエンダール氏は、現場の人の説明を後ろから聞いているような、あまり見せたくないという感じの顔をしていました。個室化して施設を残しているひとつの例でした。

2007年の住宅で砂を見る自閉症の利用者

2007年1月1日からデンマークの県は5つのリジョンと98のコムーンに改革されました。10月に筆者は全国知的障害者施設家族会連合会の方々とスーロンを訪問しました。アイエンダール氏は6歳加齢したはずなのに、以前より若く見えました。すでに管轄は県からスカネボー・コムーンに移譲され、スーロンの存続が決まっていました。土地を担保に44億円を借り入れて、庭にグループ住宅を建造中、と嬉しそうに語りました。227人の居住者のうち200人が他のコムーンの出身なので、そこからの家賃や介護費用収入で返済ができる。外部の人との交流を作るため、毎年6月に旧住居の西側の緑地で、発達障害者の支援に視点を置いた2万人参加のスーロン・ミュージック・フェスティバルを開催している。事業を障害者以外の人も対象とし、在宅ホスピスのチームを作り、ターミナルケアも担うようにした。

このときにジェントル・ティーチングについて説明を受けました。私たちは、お互いに依存している。手や目や母国語を使い、静かにゆっくりと、相手の目を見ながら話す。知的障害で交流できない人に対して、ジェントル・ティーチングを使うと予想できないことが起こる。ある瞬間に人は変わる。だから生きるのは面白いし重要。これをスーロンのケアの哲学として取り入れているのを知りました。

新しい住宅を見せるからと、アイエンダール氏は庭に出ました。彼はスポーツタイプの BMWの新車を指差し、「君はあの車でこのご婦人を乗せてきてくれ」とキーを渡しました。筆者は高齢のYさんを後部座席に乗せて、初めてのBMW体験をしました。自動車取得税が150%のデンマークでは2,000万円くらいはしそうな代物を、時速4kmほどで走らせて、最新デザインの住宅まで行きました。  その住宅は、ユニット形式で居住者を支援するグループ住宅でした。デザイン王国デンマークの建築家たちが、「やらせて、やらせて」と競ってコンペに参加したことが見える、近代的な設計でした。部屋の中に40インチ大のテレビがある。バリアフリーの広い居間、大きな窓、カラフルなカーテン、清潔そうなベッド、ぴかぴかのフローリング、窓際に並ぶ花々。何もかも筆者の家より上質。6年前に机の上の砂場と向き合っていた男性は、ここでも砂と向き合っていました。  アイエンダール氏は3つのグループ住宅を自分で案内してくれました。「すごい、素敵」と驚嘆するYさんたちの表情を楽しむように。ここの運営費はスカネボー・コムーンの3%を占める、と言ったのはこのときでした。彼はいまはコムーンの議員で、福祉委員長だ、と胸を張りました。6年前とは大違い。そりゃあ胸を張りたくなるでしょう。解体の圧力を、利用者や家族とともに粘り強く押し返してきた結果がこの素晴らしい障害者の楽園つくりへと展開したのですから。

スーロンのグループ住宅

2008年4月の訪問の際もジェントル・ティーチングの説明がありました。新しいグループ住宅も見せてもらいました。14棟まで作りたい、さらにスヌーズレン館も建てる。感情を表に表現できる服を作りたい。色や音で表現できる服。この年の居住者は228人。

世界有数のスヌーズレン館.

2012年訪問時にはアイエンダール氏は病に倒れて退職していて、以前からの副施設長トリーネ・シフ女史が説明しました。ジェントル・ティーチングの哲学は引き継がれていました。2011年の居住者は220人、2012年は235人。15人増えたということは、新しいグループ住宅が1棟できたということでしょう。グループ住宅は14棟になり、スタッフは700人になりました。

素晴らしいスヌーズレン館も完成し、障害者たちが気持ちよさそうに身を委ねていました。  このスヌーズレン館には、筆者がこれまでに見たことがない新しい装置がいくつもありました。たとえば、魚が泳ぐ床。人が乗ると魚が逃げる。人が歩くと魚がついてくる。これの花園版もあります。世界の景色の映像室では、ふわりとしたベッドに寝ころびながら、アフリカの動物保護区の野生動物たちの姿を楽しめます。アルプスからスキー滑降してくる人の姿とか、エジプトのピラミッド、海の中など、パナソニックの映像機はさまざまな世界を映しだしてくれます。ここの住人たちに世界にはこんなところがあると知らせ、想像力に刺激を与える意味あるのでしょう。他にボールの風呂、ウォーターベッド、嗅覚、視覚を刺激する各種のライトなどがある刺激室が8つほどあり、30分から1時間交代で自閉症などの住人たちが次々と治療を受けています。指導員もまさにスヌーズレンのために生まれてきたような柔らかい物腰の女性です。これだけの設備とスタッフを揃えるには、数千万円の費用がかかります。完成して終わりではなく、設備の修理や新しい装置の購入も必要です。2014年には映像で食堂や礼拝室を作り出す装置が増えていました。ある程度の規模がある施設ならではの利点でしょう。

スヌーズレン館でボールバスを楽しむ障害者と職員

2015年の居住者は235人、スタッフは750人。大型施設解体が唱えられてから久しい。スーロンも550人から半分以下の居住者に縮小しました。でも、1室6人詰め92室の施設から、235戸の2DKシャワートイレ付個人住宅群に見事に変身したのです。大型施設解体を金科玉条にせず、どうすればその人のためになるかをいつも考えて仕事をしてきた人たちの努力が、大きく花開いたのです。ここまで粘り強く引っ張ってきた彼らの努力に頭が下がります。副施設長は、最近は100人程度居住の施設ができていると付け加えました。言葉では言わなかったけれども、スーロンの成功が脱施設化の新しい方向を生んだと確信しているのでしょう。福祉の世界でこんなに華やかな成功の実例を見ると、心が躍ってきます。もっと多くの人たちに見ていただければいいと思います。

2008年頃まで大部屋があった集合住宅。いまはき会議室などに使用

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