スウェーデンの希少障害者のグループ住宅

      2018/04/13

プラダー・ウィリ症候群とは

人種を問わずに発生するという希少障害の一つ、プラダー・ウィリ症候群Prader-Willi Syndrom(PWS)の方たちのためのグループ住宅がストックホルムにあると知り、小児病院の職員の方たちに同行してお話しをうかがってきました。

地下鉄を降りて、集合住宅が続く道を郊外へと進むと、保育園への標識がありました。地図を見ながら歩く通訳さんは、戸惑いながら進みます。右手にやや大型の木造の住宅がありました。標識は出ていませんでしたが、通訳さんは「番地があっているからきっとここよ」と門を開けました。その道の奥20mほどを見やると、保育園らしきたたずまい。保育園の隣に障害がある人たちの住宅を作るはずがない、と思う私は、あの通訳さん、道を間違えたな。スウェーデンに同化している通訳さんは、この国では固定観念は通用しませんとばかり、門を開けて10mほど先の玄関に向かいます。しばらくして「ここですよ-」の声。

玄関横の会議室に案内されて、クリスティーナ・モーゼビィ女史と男性の職員から説明が始まりました。まずは、プラダー・ウィリ症候群という障害について。たいして事前勉強をせずに訪問した私たちを責めることなく、やさしく講義が始まります。名前の由来は、1956年に障害の原因を発見したスイス人のプラダー氏とウィリ氏から。染色体の異常が原因で起こる障害で、人種を問わず15,000人に1人程度の割合で発生するそうです。ざっと計算するとスウェーデンでは670人程度、日本では8,000人、東京では916人になります。小児病院のお医者さんは、過去に1人だけ会ったことがあるとおっしゃいました。

生まれつき筋力が弱く、呼吸や乳を吸うのが困難で、栄養補給が必要です。少し成長して離乳食になっても食欲は弱いまま。3歳頃から食欲が旺盛になり、親はやっと食べるようになったと喜びますが、今度は食欲が抑えられず、いつも空腹を感じ、食べ続けます。過食と肥満、そして中程度の知的障害を伴います。身長は低く、骨の成長に筋肉の成長が追い付かず、背中が曲がった状態になりがちです。幼児の頃に病気が発見されると、親が介護方法を教育され、食料品を手が届かないところに置く、冷蔵庫に鍵をかけるなどして、食べないようにしますが、患者にとってはこれがストレスになって攻撃的な性格になっていきます。成人すると実家から離れますが、社会性などに問題があり、一般就労はむずかしく、自立はできません。支援が必要です。

セーデルマルム島の住宅街

グループ住宅建設の経緯

プラダー・ウィリ症候群障害者の家族たちは、家族の会をつくり、子どもたちが成人して自宅を出たあとの住居を作ってほしいと、政治家に要求を続けていました。その努力が功を奏して1992年にプラダー・ウィリ症候群障害者専門のグループ住宅が初めてできました。

最初の住宅は、ストックホルムのセーデルマルムの集合住宅の中にできました。セーデルマルムは、旧市街ガムラ・スタン島の南隣の島で、行政区としては国会議事堂や王宮と同じ地域で市の中心地、もう少し言えばスウェーデンの中心地です。

セーデルマルムの集合住宅では、障害者が攻撃的で地域の住民たちとトラブルが続きました。どこかに移転して、専用住宅として建てねばならなくなりました。

2009年12月に、このリュスネヴェーゲン住宅ができました。セーデルマルムから南へ地下鉄で15分ほどの新興住宅街、地下鉄駅から徒歩10分ほどの町はずれです。受入れ障害者数はわずか6名。それぞれが居間と寝室にシャワートイレ付の40㎡ほどのアパートで暮らしています。適度な運動と作業ができるようにと、広い庭もついています。この障害者は変化に対応する能力が弱いので、引っ越してからしばらくは当事者も職員も苦労したそうです。

支援の内容

今の時点では6名の受入れ枠がありますが、実際に入居しているのは男性4名と女性が1名。1名はここでの同居を拒み、道を隔てた向かいの集合住宅に住んでいます。一人暮らしはむずかしいので、ここに入ってほしいが、強制はできません。なるべく職員がつく形で暮らしている。お金は与えないが、外の店から食べ物を盗んでくるのは防げません。こういうことは認知症の方たちもよくやるので、この国では施設と商店が話合い、盗んだ商品は施設が返却するとか、お金を払うなどして地域での生活を円滑にしています。

6名に対する支援の方法では、食事はいつも決まった時間に取るし、量も決めています。食料庫や冷蔵庫には鍵をかけ、外で買わないようにお金も渡していません。油ものや砂糖は使わず、低カロリーのものだけにしています。新陳代謝がうまく行われないので、少し食べても体重が増加してしまう。食事管理を厳しくして、いつも正常な体重を維持するように、毎日計量もする。筋肉が退化すると太るので、毎週ジムに出かけて筋肉トレーニングもやります。食べ物の匂いが住宅に流れるので、調理はみんなが寝ている夜中にやる。職員室にも食べ物は置かず、患者と合意の上で、ほぼすべての部屋と玄関に鍵をかける。鍵をかけることは、契約書に記載して、親や後見人も交えてサインしています。スウェーデンでは、支援者がいる住宅では認知症のグループ住宅でも鍵をかけることは拘束になるとして禁じられています。ここはそれが許されている数少ない特別の住宅なのでしょう。

毎週、みんなで会議を持ち、生活計画を作る。障害者は計画つくりが苦手なので、職員がすべて作り、話し合って実行する。変化は嫌うので、職員は同じやり方を守り続ける。平日はデイケア、職場、リハビリ、余暇活動などに行く。タクシーを利用するが、運転手はいつも同じ人にする。食事は弁当を持っていき、他の人の食事が目に入らない場所で食べる。それができない職場は変えるしかない。もともと犬の保育所(この国では共働きがふつうなので、昼間は犬を預ける習慣が生まれた)や劇場の裏方のように食事が目に入らない職場を選んでいる。週末の土曜だけ活動の日として、博物館や公園に行くこともあるが、家の掃除になることもある。外出にはお金を持たせるが、職員が必ず同行し、食品を買わないように指導する。ここは自宅だから自由に暮らしていいのだが、家にいると眠くなる病気なので、刺激を与えるようにする。庭でも運動や作業をするようにして、スパイスなどの栽培もしています。こうした厳しい決まりに縛られた中で暮らすことで、一人暮らしだと30歳程度しかない寿命が、いまの最年長の方は53歳まで伸びています。

リュスネヴェーゲン住宅の全景

支援職員

6名に対して職員は15名。1名の障害者を職員3名でケアし、さらに全体で全員に目を配る。朝から午後2名、午後から夜3名、夜間1名。夜間1名は夜勤専門で、昼間のシフトには入らない。職員はヘルパー資格を持つ人達で、ここに就職してから、ベテラン職員から専門教育を受ける。教えることができる人はここの職員以外にはいない。この仕事にやり甲斐を見出した人たちが、辞めずに続けている。当人はIQが高く、職員は考えないと支援できない。職員が理論で負けることもある。空腹感で当人が攻撃的になったときは、アパートから出して、共同スペースで数人の職員と一緒に話しあう。友達ができない人たちなので、職員が友達のように相談に乗ったり、導いたりもする。講義をしてくれた人たちの言葉から、自分たちにしかできないことをやっているという自負が感じられました。

スウェーデンに2つしかない住宅

プラダー・ウィリ症候群グループ住宅はストックホルムには1か所だけ、スウェーデン全体でも2か所しかないそうです。もう1か所はセーデルテリエ自治体にあり、受入れはこちらも6人だけ。セーデルテリエはストックホルムの南西35km、ストックホルム中央駅から近郊電車で45分にある人口85,000ほどの港町。どちらも入居希望の長い列があるが、申込順と決まっている。スウェーデンでは高齢者住宅の入居、保育園の入園も、申込順。日本のやり方は、緊急度順としていますが、公務員や議員関係の人が優先するようで、公平な選択法ではないようですね。ストックホルムでは生まれて最初の健康診断で障害が見つかってすぐに申込しないと、亡くなるまで入れない状態だそうです。入居待ちの人たちは、ふつうの知的障害者グループ住宅に入って、ここの空きを待っています。

数が足りないのははっきしている。でも市はほかの希少障害の人たちの住宅なども造り、維持していかねばならない。ここの役割は、いまの入居者を通じて、どのように支援したらいいか学ぶこと。楽しい人生を送れるように導くこと。そのノウハウを蓄積して、家族や医療関係者、福祉関係者に分け与えること。初めてプラダー・ウィリ症候群患者を受け入れることになったグループ住宅の職員たちがよく学びにくるそうです。火曜と木曜は視察歓迎の日にしてあります。

入居者に会わせていただく

ちょうど帰宅してきたという、入居者のミッケさんに会わせてくれることになりました。私は慌てました。視察のお礼に渡そうと、日本からクッキーを持ってきていました。事前勉強をしっかりしていたら、食べ物のお礼は控えたのに。クリスティーナさんに尋ねました。彼女、にっこり笑って言いました。「食べ物の管理については私たちはプロよ。しっかり管理して職員でいただきます」

ミッケさんのアパートを訪問しました。彼は背は低めですが、太ってはいません。支援の職員がしっかり健康管理しているのが見てわかりました。犬の保育所での仕事のほかに、音楽活動もやっていて、バンド仲間と一緒にカスタネット奏者として日本に行ったことがあるそうです。名古屋と仙台でコンサートを開いたとのこと。この話をしたときには、少し笑っていました。いい思い出があるのでしょう。部屋も見せてくれました。趣味のミニカーが山積みになっていました。これだけのきつい障害を持って生まれ、厳しい管理を受けながらも、生きる楽しみを持つことができているのは、本当によかったと思いました。心に残る施設でした。

難病患者グループ住宅と保育園

住宅を辞去し、門を出たら、本当に隣が保育園か確認に行きました。確かに保育園でした。雪に埋もれた園庭で、子どもたちが元気に遊んでいました。

攻撃的になるので、近所の住民たちとトラブルを起こして移転を強いられた人たちのグループ住宅を、わざわざ保育園の隣に作るとは思えません。いくらスウェーデンでも、ストックホルム市であっても、そんなことはしないでしょう。あとから保育園が建てられたはずです。それにしてもここに保育園をつくるのは、すごい勇気です。住宅の支援職員が、「攻撃的になることがある患者たち」と言っている施設の隣に保育園開設。インテグレーションな町づくりに熱心なスウェーデンらしい配置です。でもすごい。実験の国らしい選択。障害者たちに子どもたちとの触れ合いの機会を多く与え、心をのびやかにしてもらう。子どもたちには、社会には違う人たちがたくさんいるけれど、お互いに力を合わせながら一緒に生きていけば楽しいと学んでもらう。

福祉が進んでいる国というけれども、進んでいるのは制度だけでなく、どういう暮らし方をしてもらうか、どういう町つくりをするかという哲学がさきにあって、それに沿って制度をつくっている。そこがいくら学んでも追いつけないところだといまさらながらに感じました。予算があればグループ住宅は建てられる。でも、保育園や普通の住宅とも溶け合って暮らそうとする姿勢は100年たっても真似できないでしょう。

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