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コペンハーゲンにある女性相談支援所ダナーハウス

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女性運動の象徴赤い靴

☆女性シェルター、女性活動の中心

コペンハーゲンの中心地近くにある赤レンガの美しい建物が、デンマークの現代女性の保護機関として再生しました。ダナーDannerhusを紹介します。

事務局からダナーのいまの活動について聞きました。ここは暴力を受けた女性と子どもの保護機関であり、女性の自立や政治活動、社会活動、差別解消への道筋の研究、学習会、講演会などの実施の2つの活動を柱にしています。所長のもとに40人の常勤職員、200人のボランティアがおり、国内だけでなくグリーンランドやアフガニスタンにも事務所を持っています。活動資金は、各省庁からの補助金、民間基金からの補助金、寄付が中心で、書籍の制作販売、講演会活動などの事業も行っています。

デンマークでは、毎年3万人の女性が家庭内あるいは男性から暴力を受けています。さらに4,000人の移民女性が被害にあっています。子どもの20%がDVの被害にあい、16歳から24歳の9,000人の女性が犠牲者になっています。被害者は、パートナーからのいじめは恥と思って、黙っている。相談もしたくないので、解決方法がわかりません。子どもの場合は、学校の教師に相談して、話しあうことが大切です。

煉瓦つくりの美しい建物

煉瓦つくりの美しい建物

ダナーでは、24時間電話相談を受けています。全国の女性が対象で、専門家が相談に乗り、経済的問題、法律的問題、住宅や生活の相談に乗っています。

ここには暴力を受けた女性や子どもを守るシェルターがあります。18人の女性と18人の子どもたちのためのアパートで、各アパートにはベッドや洋服ダンス、机などの家具、テレビ、簡易キッチン、トイレとシャワー、遊び場が備えられています。共同部分には、キッチン、ダイニングルーム、大型テレビ、コンピューターまで備わったリビングルームがあり、ほかの住民たちと共有されています。また洗濯室には、洗濯機や乾燥機、アイロン、乾燥場があります。

シェルターでは、女性とその子どもたちが受けた虐待や家庭内暴力からのトラウマや傷を癒し、治療し、必要なら助言をし、落ち着いた心を取り戻すように力を尽します。ここの相談員、心理療法士、指導員、ソーシャルワーカーは、豊富な専門知識と、経験を持っています。その人担当のコンタクトパースンを配置し、話し合いを続けます。これまでは家庭内暴力を恥と思い、誰にも相談せず、一人で悩み、苦しんできた被害者の心を、時間をかけてゆっくりと開いてもらいます。これまでの出来事をすべて言葉にしてもらい、問題を整理し、客観的に見直し、どうすれば次のステップに進めるか、さまざまな方法を話合います。

ソーシャルワーカーは自治体や学校、病院などとコンタクトし、シェルターで生活できるように事務的な対応を受持ちます。さらにシェルターを出てからの生活の可能性を探っていきます。自治体からの支援金、住居、仕事探しなど、再び社会で生活するのに必要な事柄はたくさんあり、どれも簡単には解決できません。ていきます。できるように道筋を作り、暴力を取り除き、安全で安定した生活の場を見つけ出します。

女性と子どもの保護シェルターの存在が公表されているのは、デンマークでも多くはありません。ここに逃げてきたら直ちに危険性をチェックし、追跡される可能性があれば、ほかの住宅やシェルターを勧めます。国内には40を超すシェルターができました。

保護シェルターは一時的な家で、門限があります。子どもは危険がなければ学校に通っています。行けない場合は、ここで教育することもできます。滞在費用は、その人が生まれた自治体が負担します。ソーシャルワーカーがその自治体に連絡し、手続きします。費用は一人1室1日45,000円程度になります。ここの予算は年間5億円程度です。

一度ここにきてパートナーとの関係を切りますが、緊急対応が終わってから、私達との会話によって、問題を考え直すようになります。再びもとのパートナーのもとに戻る人も少なくありません。良好な関係が築ければ、一人で再出発するよりは負担が少ないでしょう。私たちは関係修復への支援もします。親戚や友人との連絡を再開し、ここを卒業した人たちのグループも作ります。

家庭内暴力や虐待は、親から子へ連鎖します。いま暴力をふるう人は、子どもの頃に親たちから暴力や虐待をうけてきたのです。暴力を受けても、それに慣れていて、日常と思うようになっています。そして、いまは暴力を使う側になっています。そのことに気づいて、暴力の使用をやめたいと希望している人もいます。私たちは、暴力の使用を止められない人を訓練するセンターも作っています。

女性運動のシンボル赤い靴

 

☆ダナー伯爵夫人について

この建物は、1873-75年にダナー伯爵夫人の希望により、夫だったフレデリック7世の遺産をもとに建てられました。

ダナー伯爵夫人とフレデリック7世の愛はとてもデンマーク的で、童話作家アンデルセン(1805-1875年)と同時代のエピソードとして納得できます。カナダ人が小説にしたそうですが、そのうちに映画になるかもしれません。

ダナー伯爵夫人は、ルイーズ・ラスムーセンという名前で、1815年に未婚の女中の母と商人の父のもとに生まれました。1826年にコペンハーゲンの王立オペラのバレエ学校(アンデルセンはこの5年前まで在学し、挫折しました)に入学し、1835年にバレリーナとして契約できました。しかし、6年後に新聞社の跡継ぎカール・ベルリンとの間に息子が生まれ、翌年引退して帽子店を開きました。

ルイーズはカールを通じて、皇太子と知り合い、両性愛の男性2人と3角関係を続けていたそうです。この間、皇太子は2回の結婚と離婚を経験し、1848年に国王に即位しました。 国王はルイーズとの結婚を希望しましたが、彼女の貧しい生まれや男性関係を理由に、貴族や政府が反対して許されずにいました。即位後すぐに国王は、現ドイツ領となったユーラン半島南部の独立問題と、国民が求める絶対王政の廃止などを盛り込んだ新憲法の制定問題に直面しました。カール・ベルリンの強い勧めがあり、1849年6月5日ルイーズとカールの息子クリスチャンセンの誕生日に、成人男性に選挙権を与え、政府に統治権を与える新憲法を布告しました。新憲法が国民に好意的受け入れられ、その後押しで1850年8月に国王はルイーズと結婚し、彼女はダナー伯爵夫人の称号と領地を得ました。但し、ルイーズは女王ではなく、子どもには王室の継承権はないとされました。カールも侍従として王宮に入り、1861年まで国王を支えました。

貴族や官僚はルイーズを毛嫌いし、交流を持とうとしませんでした。ルイーズは国王を地方の庶民の集会などに誘い、国民からの人気を得ようと努力しました。1863年に国王は他界しました。1873年に遺産をもとに、労働者階級の貧しい女性のためのフレデリック7世財団を設立し、コペンハーゲンに貧しい女性たちのための住宅ダナーハウスの建設を開始しました。翌年彼女は亡くなりましたが、75年に完成してから52人の女性がここで暮らしたそうです。住人の負担は暖房費と食費だけでした。

おしゃれな家具ばかり

☆女性運動の館へ

ダナーハウスは老朽化し、1970年にはわずか4人が住むだけになりました。財団の資金はなくなり、建物は建築会社への売却が決まりました。

70年から80年にかけてのデンマークは、アメリカのウーマンリブ運動の影響を受けて、「赤い靴下」などの女性解放運動が盛んになっていました。運動の成果として73年には12週間以内の妊娠中絶が無料でできるようになり、74年から学校で性教育が開始されました。それでも、男女間の給与の格差、家庭の中での労働配分、夫婦別称、女性の社会進出、家庭内暴力、虐待などの戦うべき問題が数多く残っていました。

女性運動の闘士たちは、ダナーハウスを買った建築会社に、この建物を不幸な女性のための住まいとして残してほしいと訴えました。しかし、会社は譲らす、交渉が続きました。79年11月2日の夜、女性たちが侵入してここを占拠し、女性の砦にすることを社会に宣言しました。この行動には建築会社も妥協せざるを得なくなり、売却することを認めました。女性たちは、全国の人たちに家庭内暴力被害者のシェルター購入資金の提供を訴え、募金を開始しました。

十分な資金が集まり、改修工事が終わり、シェルター業務が開始されるまでは10年近い年月が必要でした。いまの組織になり、有給の職員が従事できるようになったのは2000年になってからだそうです。貧困の生まれだったが故に差別を受けたダナー伯爵夫人が最後に残した意志が、多くの人たちの支持を得て、現代に蘇ったように思えます。

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