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ヘルシンキのインテグレーション政策

 最終更新日  

       知的障害者支援の担い手だったリンネコティの集合住宅
 ヘルシンキ周辺(人口約100万)での知的障害者の支援は、かなりの部分を民間の財団、親の会などが担ってきたようです。最大の担い手はキリスト教関係の組織で、1927年にヘルシンキで財団を作り、知的障害者支援を開始しました。その後1939年にヘルシンキの北西20kmほどのエスポーにあった農場を買い取り、大規模な障害者施設リンネコティ(丘の家の意味)を開設しました。林と牧草地が続く丘陵地帯に、住宅や医療施設を造り、やがて学校や活動施設などを増やしていきました。障害者とその支援に関わる人たちだけが生活する、いわゆるコロニーでした。医療能力を備えた安心の住宅地ですが、隔離と判断できなくもない施設。1970年代には500人が住んでいましたが、辺鄙な場所だったので職員が集まらず、方針の転換を迫られました。1980年代から少しずつ、ヘルシンキやエスポーの都市部のアパートでの支援に切り替えていきました。2007年に訪問したときは開発担当のホンカネン女史が、市内のアパートに200人が移り、リンネコティ通りの住民は300人に減った、と教えてくれました。2017年の訪問時にはホンカネン女史は別の部署に移動しており、開発担当職はなくなっていました。政府が推し進めるインテグレーション政策により、医療施設と学校はエスポー自治体に移管され、住民は重度の方70人に減っていました。最大の住宅棟は老人ホームに変わり、顧客部長のラークソネン女史は「重度の方も近々すべて都市部に移す」と明言しました。リンネコティ運営の市内のアパートも、数か所見せてもらいました。一つはヘルシンキ市内の老人ホームの3階部分を住居にし、住民の5人は2階の大広間の安楽椅子に座って、ほぼ眠っていました。その前では、誰も見ていないテレビが賑やかに騒いでいました。丘陵地帯にいたときには、これらの障害者たちは介護者とともに、広い庭の散歩や日向ぼっこを楽しんでいたような気がします。売店もあって、あれこれ品選びしたり、ジュースを飲みながら、笑いあっていました。コマドリの声も聞こえたし、草むらでカササギが虫をついばんでいました。障害者にとってはずっと楽しい日々だったように思えます。

ヘルシンキ知的障害者親の会運営のグループアパート


 1957年に設立したヘルシンキ知的障害者親の会は、障害者支援に関する法律の整備、住宅の建設、保育所や教育制度の確立などを訴えてきました。障害者住宅のモデルケースを作るため、市の土地を借り、スロットマシーン協会からの補助金や福祉金融組織からの借入金を使って、重度障害者のグループアパートを2棟と軽度知的障害者住宅を1棟、デイケア施設を1か所建てました。運営も市から委託されています。グループアパートは何度も見せてもらいましたが、できて20年近いというのにいつもきれいです。モデル住宅としての誇りが感じられます。家族の会はほかにも家族からの相談、介護の悩みの傾聴活動、週末に障害児を預かって親の負担の軽減を図る、障害者の人権保護、差別の排除、余暇活動や旅行運営なども担っています。

親の会運営の障害者の余暇活動でビリヤードを楽しむ.jpg


平日の夜は、カッリオ教会近くにある親の会が入居しているビルの4階で、障害者の余暇活動を運営しています。何度か視察しましたが、軽度から重度の人たちが、1日の活動を終えて、ビリヤードや音楽演奏、新聞記事の解説、お絵描きなどを楽しんでいます。

ソフィアンレヘトの住民が移転したヘルシンキ市営障害者グループ住宅


 ヘルシンキ市は、第二次世界大戦後しばらくして、市心から北へ4km弱にあった孤児院を改築して重度障害者施設ソフィアンレヘトを開設しました。はじめは120人ほどが生活し、2008年に視察したときには70人に減っていました。それでも住宅というよりは、病院という印象でした。施設長のルーシラ女史はこれではいけないので、改革が必要ですと話していました。2014年から敷地内と市内にグループアパートを建てて住民を移してきました。2017年に視察を申込んだら、いまは移転で忙しいから、すべてが終わってからお見せしますと断られました。ほかに市から西に27kmほど離れたキルッコヌンミ自治体のキリンマキに100人が住む障害者住宅とデイケアがあるとわかり、視察を希望しましたが、ここも閉鎖するからと断られました。2018年までにソフィアンレヘトは閉鎖されました。市内のアパートに分散して移り、施設は閉鎖されました。市営の住宅はすべてインテグレーションされたことになります。

手厚い支援で障害者を活動に誘う2015年開設の市営グループアパート


 2016年にフィンランドの障害者就労の場を調べたときに、イピ・カフェに出会いました。カフェだけでなく障害者住宅も運営していると知り、「訪問希望先リスト」に書き込んでおきました。幸い、あまり時間を置かずに訪問する機会がやってきました。

ちょっと寄りたくなるモダンな外観のイピ・カフェ


 2019年秋、まずイピ・カフェを訪問しました。障害者就労の場は東京の自宅近くにあるカレー・ショップやストックホルムにあるランチ・カフェを利用したことがありますが、どちらも繁華街を外れたところで保護就労している印象が強くあります。イピ・カフェはヘルシンキ大聖堂から北へ800m強、ヘルシンキ湾から200mほど上った中級の住宅街の中。坂の途中の角地に、大きなガラスを使ったモダンなデザインで存在感を放っていました。向かいはカッリオ地区の図書館で、少し登ると丘の頂上で、高さ65mの鐘塔を持つカッリオ教会があります。この教会はヘルシンキのランドマーク的存在です。斜めに走る坂道が多い、落着いた街並みの地域です。上り下りが多いからか、行きかう人は若者が多く、子どもも結構走りまわっています。

障害者が働くおしゃれなイピ・カフェ


 中に入ると、1階と2階、それに半地下、80席と想像していたよりずっと大きな店です。メニューは本日の特別定食にしました。チキンに香辛料の効いたソース、クスクスと、赤や緑の野菜のいろどり豊かなランチ。料理のレベルもかなり本格的。指導するコックの腕がいいのでしょう。お客さんもたくさん入っている。14人の障害者が働いているそうですが、障害者就労が売りではなくて、雰囲気と料理そのものが売りになっています。インテリアのセンスもいい。地下にあるトイレの広さ、美しさにびっくり。
店の名前は、サッカー選手で1961年の優勝チームメンバー、のちにサッカー協会会長、飲食業協会会長を務めたPekka Hämäläinen(1938-2013)にちなんでいます。イピIPIは彼の愛称で、ダウン症の孫を愛し、障害者のために尽力したのを記憶するため、店の名前にしたそうです。覚えやすくていい名前ですね。また行きたくなる店です。

障害者住宅リュピュテアパート


 デザートを楽しんだあとは、イピ・カフェを運営するNGOリュヒュテ協会LYHTYの訪問です。イピ・カフェから北西へ10km弱の住宅街にありました。
設立者の一人のペトリ・ハロネン氏が待っていました。時間がないので早くお入り下さい。話すことはたくさんあります。挨拶もそこそこに、エネルギーに満ちた説明、案内の開始です。リュヒュテ協会は1993年にヘルシンキの重度障害者施設で働く3人で設立しました。目指したのは、自分たちが考える理想の知的障害者支援を実現すること。当時、彼が働いていた施設では、決まった時間割で支援を進めていただけ。障害者一人ひとりの気持ちをくみ取ることは無視された。利用者のための支援ではなく、職員が無事に一日を過ごすためだけの支援だった。3人は、その人その人に合わせた支援を目指しました。人には36種類のニーズあると考えて、それぞれの人のニーズを書き出して、どのように対応するか具体化しています。また、公営の施設より受入れ人数を2割減らして、職員に余裕ができました。それだけ職員が利用者を深く観察できるようになり、仕事が面白くなりました。職員の退職が減り、長く勤務するようになりました。その分、利用者からの信頼も得られ、お互いにいい関係が生まれています。この近くには医療機関もあるし、薬局もあります。障害者にとっても安全な地域です。

リュピュテの住宅では1対1の支援もある


 住宅の中を見せてもらいました。24のアパートがあるそうです。確かにここに住む人たちには重度の障害がありました。でも、安楽椅子に座っているだけの人はほとんどいません。食堂で仲間と話したり、車椅子で右往左往したり、職員に何かを訴えたり、私たちについてきたり、何かしらやっていました。設立者たちが望んだように、ここの住民たちは生き生きしています。どのアパートの居間も、自分の好みのインテリアで飾られ、センスのいいカーテンが下がっています。ベッドには、仲良しの縫いぐるみや人形が座っていました。壁には、お気に入りの歌手や女優、アクションスターの写真、アニメの主人公の絵などが飾られています。浴室には、鮮やかな色彩のバスタオルや衣類が干してありました。みんなが人生を楽しんでいる感じが溢れていました。
2018年春に、2014年に建てられたヘルシンキ市営のグループアパートを、再訪しました。壁や床にキズが目立ち、わずか4年でこんなに痛むのかとびっくりした記憶があります。
リュヒュテ協会の住宅は、どの部屋もきれいに掃除されていて、共同スペースの廊下や食堂の床や壁にキズや汚れがありません。維持管理がしっかりしていて、建てられてから20年以上も経過しているとは思えません。最後に私は聞かざるを得なくなりました。イピ・カフェもこの住宅もデザインが素晴らしいし、維持管理がしっかりしている。どのようにお金をやり繰しているのかと。
住民たちの収入は、障害者年金、住宅補助が大半です。私たちは住宅賃貸料と食費を本人からもらい、介護サービス料を住民たちが生まれた自治体からもらいます。それと様々な財団や企業からの寄付があります。これらを合計すると、借入金の返済を含めても、経営できています。住宅建設のときには、建築家に様々な要望を出し、話合いしながら実現に近づけてもらいました。それだけコストが増えましたが、住人にとっては一生住むところです。毎日を気持ちよく過ごしてほしい。スロットマシーン協会からの補助金と福祉金融機関からの借入金が得られたので、計画を実行に移すことができました。すでに最初の借入金は返済し、さらに活動を拡げています。いまは4か所にある44の障害者アパート、布製品の作成と販売、8人が働くラジオ局、13人が働く戸外活動、音楽やミュージカルなどの舞台芸術部門、カフェ・イピ、若い成人知的障害者に言葉やお金の使いかたなどの生活技術を教える教育部門をもち、100人の障害者とその家族を支えています。
 説明を受けても、どうしてリュヒュテ協会の事業はうまく進んでいるのかわかりません。うまくいっているのは、ハロネン氏の言葉、職員の仕事振り、住民たちの暮らし振り、センスのいい建物と美しいインテリア、イピ・カフェのお客や職員の様子を見ればわかります。ヘルシンキ周辺での知的障害者支援は、リュヒュテ協会や家族の会が実施している、みんなで楽しく暮らす方向へ流れているように思えました。これが新しいインテグレーションの姿なのだと気づかされた気がします。

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