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カタリーナフセットから学ぶストックホルムの福祉

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            雪にも負けずに活動するカタリーナフセット
ストックホルムの北のはずれ、いまの中央駅から北へ1kmあたりの東西の地域ヴァーサスタンVasastanは、数年前に近郊電車の乗入れ駅ができ、大いに賑わっています。1900年前後に建てられた庶民的な住宅が多く、駅の周辺の1階には商店やレストラン、バーが軒を連ねています。童話作家のアストリッド・リンドグレーンはこの地域の中心地のアパート、1階にフランス料理店がある建物に作家になる前の1941年に入居し、2002年に亡くなるまで住んでいました。いまは博物館になっています。
リンドグレーン博物館の西側は広い公園ヴァーサパーケンです。公園の南側には、病院や福祉施設が集まっています。それも保育園から老人ホームまで、あらゆる種類があります。その中の一つ、障害者が働くカフェ・カタリーナフセットでランチしたので、この地域の成立ちを調べてみました。

ヴァーサスタンの住宅


ヴァーサスタン周辺にはヴァイキング時代から人が住み、13世紀の終わりからレンガ焼きが行われていたそうです。豪族のラドゥロスは1275年にスウェーデン王になり、この土地をクララ修道院に寄付しました。15世紀にはストックホルムが火災に襲われ、修道院も何度も被害を受けて困窮し、16世紀の宗教改革で閉鎖されました。土地は数人の有力者が所有し、いまの市立図書館の南西側やヴァーサパーケンの西1kmほどにそれぞれの館がありました。西側のはずれには王家の狩場があったそうで、やがて今も残るカルベリ城が建てられました。
ストックホルムはハンザ同盟との交易で、物資や文化、外国人が入ってきて都市化していきました。ドイツからきたローゼンティエナは貿易で財を成し、スウェーデンの王室や貴族に融資して王族の財政を担いました。ヴァーサスタンのローストランド(葦が茂る岸辺の意味)に土地を買い、1635年頃に館を建てて国王に寄付しました。ローストランド館は、第二次大戦中は捕虜の収容所などに使われました。
ドイツ生まれで、ストックホルムのガムラ・スタンで酒場を経営していたヴァレンティン・サバツが、1709年にローストランドの一部を購入し、農場をはじめました。広さは東京ドーム2.3個分、イギリスのウィンザー城と同じくらいで、サバツベリィSabbatsbergと命名しました。レンガ焼きの土が掘られた穴を池にして鯉を飼い、酒場や宿屋を建てて遊興の地にしました。彼は1720年に亡くなりましたが、1734年にスウェーデン人薬剤師が井戸を掘り、健康にいい鉱水で沐浴し、酒も飲める施設を加えました。いまも区域(ロの字型の集合住宅と中庭)や2つの保育園の名前に泉Brunという語があるのは、人気がある行楽地だったからでしょう。井戸は1880年に涸れたそうです。

ヴァーサスタンを代表する市立図書館。かつては貧民街だった


ドイツ人画家のヨハン・ヴォルフは、1726年に王家や貴族を説得して、磁器工場建設の資金を集め、ローストランド館に窯業工場を作りました。この地の土が磁器にいいと考えましたが、陶器しかできず会社は彼を解雇し、次々に職人を変えて19世紀にようやく成功しました。ロシアへの販売のために、植民地だったフィンランドのヘルシンキ郊外のARABIA地区に工場を建て、また国内のIföブランドを買収するなどして、一時はスウェーデンの8大企業の一つとして1万人を雇用していました。1926年にストックホルムの館と土地は売却し、工場はリンシェーピングに移転しました。その後、紆余曲折を経て、2007年にフィンランドのフィスカスに買収されましたが、iittalaブランドの中で存続しています。いまのヴァーサスタンに、ローストランドの名は館の建物の一部と道路1本が残るだけです。
サバツベリィは転売され、1751年に地域のキリスト教組織の貧困委員会が購入しました。農園の本部の建物は、1761年に改修されてサバツベリィ教会になり、いまも残っています。教会は行政機関的役割を持ち、このあたりに住む貧しい人々に食事や教育を与える場でした。この業務は1862年にストックホルム市が引継ぎました。

左手が高齢者と精神障害者住宅。右が感覚の庭


教会の東側50mほどのところに、1767年に新しい大きな宿屋が建てられました。鉱水を使って、食事も出していたようです。カタリーナフセットと名付けられました。ローストランド陶磁器工場に出入りする商人たちが利用し、夏はガムラ・スタンの狭い家に住む裕福な家族が遊びにきていました。室内にはビリヤード、庭にはアイススケート場が造られ、周辺の人たちが手作りのお菓子を売りにきました。地域は工場労働者や手仕事の職人たちが住み、貧しい労働者の町でした。市立図書館の北側はいまもシベリエンという地域名ですが、暖房がなくシベリアのように寒い住宅街を表した地名だそうです。
やがて交通手段が発達し、人々はもっと便のいい場所の宿屋を求めました。1865年にカタリーナフセットは宿屋から病院へと変わりました。ヴァーサパーケンの場所は、18世紀半ばから公園にする計画があり、市民の息抜きや運動の場として残されました。実際に工事が始まったのは19世紀の終わりで、第一次世界大戦中には、公園がポテト畑になったそうです。
1879年にカタリーナフセットの南側にサバツベリィ病院が開業し、患者たちが移りました。カタリーナフセットは貧困者の救済アパートになりました。当時は、貧しい人々はいわゆる貧困住宅に住むことが多く、貧しい高齢者と障害者が、お互いに世話をしなければなりませんでした。さらに20世紀の初めには老人ホームになり、1970年代に閉館しました。1957年の改修の際に、外壁の漆喰の下から建設当時の色が見つかり、スウェーデンらしい朱色に戻りました。いまはストックホルムの歴史的建造物を管理する会社の所有になり、市に貸し出されています。市はカフェ・カタリーナフセットに半分、精神障害者のデイケアで出会いの場バルデルに半分を使っています。
サバツベリィ病院は1994年に終業しましたが、私立の医療会社が引き継ぎ、病院、診療所、薬局、保育園、高齢者住宅、認知症グループホーム、盲と聾の重複障害者支援組織、精神障害者住宅、知的障害者デイケアなどが集まっています。

ランチ時のカフェ


カフェ・カタリーナフセットは知的障害者が働くランチ食堂です。
1階の半分が、食堂と調理場、作業所になっています。
私は5回ほどランチを取ったことがありますが、いつも忙しい時間なので説明はなし。今回は時間をずらして訪問し、指導員のエリノア女史に教えてもらいました。職員は12人、利用者は25人で、ダウン症、知的障害、精神障害、自閉症を持つ人たちです。カフェのお客は、近くの施設の職員、公園に遊びにきた人たちです。もちろん利用者もここで食事をとります。就業時間は職員は平日の8時―16時、利用者は9時―15時。
ここの仕事はカフェだけではありません。すぐ前にある「感覚の庭」の掃除や草取り、その隣にある重度精神障害者アパートの掃除と洗濯も請け負っています。

ランチ休憩時の利用者たち


カフェの仕事は、パン粉やパイ生地をこねる、食材を洗う、切る、調理補助、ドレッシング作り、スープ作り補助、コーヒー淹れ、食器洗い、食器を揃える、砂糖やミルクの用意など、数えきれないほど。利用者には毎日違う仕事をしてもらいます。それが曜日の感覚につながります。月曜は食器洗い、火曜はスープ作り、水曜はコーヒー作りと、1人ずつに仕事を振り分けます。それでいて、毎週同じ作業を繰り返すことで、食器洗いしている今日は月曜とわかるようになります。仕事の写真や絵を見せ、文字も書いて読み上げて言葉で説明します。カフェ以外の仕事、掃除や洗濯、草取りについても、同じように教えます。職員は調理師であるとともに、指導員の勉強もします。
担当する仕事は、できるだけその人に合うものにしてもらいます。カフェ仕事は時間に追われます。お客さんが待っているし、急がなければなりません。利用者にとってストレスになりますが、やりたがる人もいます。働き方はその人にあったものにしています。一週間はカフェ、次の一週間は庭仕事としたり、午前は掃除、午後はカフェとか。知的障害が重い人は、音楽を聴いたり、歌ったり、踊ったりして過ごします。
「感覚の庭」はこの周辺にある高齢者施設、認知症グループホームの住民のためにつくられたものです。バラやラベンダーなどの香りを漂わせる植物、色とりどりの花、風にざわめく葉音などを楽しみ、心をのびやかにさせます。この中の掃除、草取りは障害者にとっても気持ちのいいものです。みんなやりたがります。
給料はほんのわずかです。障害者年金だけで十分に暮らせるので、お印程度。楽しく働き、満足してくれればいい。

感覚の庭では昔のように洗濯ものを干している


カタリーナフセットが市の建築文化財の一つで、そんな貴重な建物の中で働いていると自覚している利用者はいないでしょう。私だって250年もの歴史をもつ建物でランチしていると自覚しているわけじゃないから、どっちもどっちかもしれません。しかし、市は、そういう建物を福祉施設に利用することに、意味を見出しているはずです。文化の保存と、福祉の場、医療福祉施設職員のランチ提供を重ねている。さらに細かく見ると、カフェの利用者は、高齢者たちの息抜きの公園「感覚の庭」の手入れをしているし、重度精神障害者の衣類の洗濯や住宅の掃除もしている。19世紀の終わりにカタリーナフセットで行われていた、障害者と高齢者の助け合いがいまも生きています。そして2019年5月にカフェの隣に精神障害者のデイケアを移転してきました。ここでもかつての職員で、定年退職した婦人が今も週に数回指導にきています。彼女の生きる張りの一つになっています。
一つの建物の保存にいくつもの役割を担わせている。地域の資源を上手に使っています。この発想がすばらしい。
サバツベリィという地域、カタリーナフセットの成立ちと歴史を知って、ストックホルムの福祉制度の基礎と流れが少し理解できました。270年以上も前からこの地域には貧しい人たちが暮らし、その人たちを守るキリスト教組織があったのは、私にとっては驚きでした。その組織の福祉部分をストックホルム市が引き継いで、さらに発展させてきています。福祉国家スウェーデンは長い積み重ねの中で築かれてきたのがよくわかりました。

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